2016年 11月 01日
1.Nov.2016 (Tue)
音楽は音楽単体では存在し得ず、どうしたってそれにまつわる情報が鑑賞に干渉してくるわけですが(駄洒落)、けっしてそのことを否定的に考えているわけではなく、積極的にそういった情報を音楽と並べることで、より楽しく、深く音楽を味わうことができるものと考えています。

わかりやすい例としては、アニメの主題歌なんてのが挙げられるかと思います。曲単独でも素晴らしいものはいくらでもありますが、その歌がオープニングを飾っているのがどんなアニメか、内容含めて知っていれば、より楽曲も味わい深くなるというものです。

2000年に69歳で亡くなったオーストリアのピアニスト、フリードリヒ・グルダは、クラシック音楽から出発しながらジャズにも果敢にチャレンジ、ウィーンの保守的な音楽界との対決姿勢をあらわにしつつ、ボーダーレスで自由な音楽家として活躍しました。そんな彼が亡くなる前年に自宅で録音したシューベルトのアンプロンプチュと「楽興の時」は2001年に日本で発売され、いろんな音楽遍歴を経たグルダの最後にたどり着いた悟りの境地、などとして高い評価を得て、この曲の定番録音として語られるようにもなっているのですが…

シューベルト:4つの即興曲集

グルタ(フリードリッヒ) / EMIミュージック・ジャパン



そのCD、どうやら実は1963年に33歳のグルダによってレコーディングされたものと同一の音源だというのです。実際その音源は日本でも過去に発売されていて、今でもCDで入手できる(DENON TWCO-63~64)。聴いてみたら、たしかにまったく同じものでした。最後の録音としてありがたく愛聴していた僕は、大きなショックを受けました。果たしてこれはいったいどういうことなのか。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第21&27番、シューベルト:即興曲&楽興の時

グルダ /



本当は別に録音されたテープが存在していて、間違って古い音源がスタジオに持ち込まれてCDに…って、そんなのは制作担当の誰かが絶対気がつく話だよね。ありえない。

この人、1999年に自分が死んだという情報を流して、騒ぎになったあとに生き返った体(てい)で復活コンサートを開くという茶番をやったことがあるとのこと、もしかしたらそういう話ともつながっていることなのかもしれません。つまり、ある種のいたずらっ気を出し、「あの音源、今でもけっこういけてると思うから、俺が死んだら『最後の録音』ってことにしてしれっと出してよ」と遺言していたのではないか。

結局未だに公式にこの二つが同一のものであるという発表はされておらず、ほとんどの人は騙され続けているままという状態です。

でも、まあいいじゃないかとも思うのです、このシューベルトを弾いたグルダが何歳だったかとか、録られたのがグルダの自宅でなのかジュネーヴのスタジオでなのかとか、1999年の録音なのか1963年の録音なのかとか(宅録とか言っておけば30年くらい古くたってごまかせるわけだ)。この録音が死の前年に行われたと信じて聴けば、老境のグルダにしか出せないであろうウィーン的シューベルトが立ちのぼってくるだろうし、「おふざけ遺言」説を採ってみたい僕にしたって、グルダの「してやったり」に拍手するのではなく、みんながそうやって賞賛している録音なのだから、グルダが改めて認めたシューベルトの最終回答として素直に聴いて、録音の背後にある(かもしれない)重層的でメタな物語も音楽の一部として味わおうじゃないかという気持ちなわけです。

写真は先日安価で手に入れた’60年代プレスのアナログ盤。もしかしたら別の録音だったりして…と思って針を落としましたが、やはり同じものでした。まあ、アナログ化希望みたいなところもあったから、これはこれで嬉しい拾い物でした。

・・・あれ、これ言っちゃいけないやつ・・・?(夜道には気をつけます)

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by deadfunny | 2016-11-01 00:00


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